無難な人生からの一歩 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

無難な人生からの一歩

偉そうなことを言う資格はない。キレイゴトを言うつもりもない。人は地道に働いて無難に暮らそうとする。別に派手で立派な生活でなくてもいい。金持にならなくても、愛する家族と共に日々を慎ましく過ごせればいい。こうした無難な人生に私は「水平的幸福」を見出すが、それ自体が悪い道理はない。むしろ、世の中には未だ無難に生きようとしても生きられぬ不幸がある。病気や災害といった自然的要因もさることながら、戦争とか貧困といった人為的要因は何としてでも皆で協力して克服しなければならぬ。その克服こそ水平革命によってもたらされるパラダイスに他ならない。従って、私もまたそうしたパラダイスの実現に真摯に取り組みたいと思っている。

 

しかし、繰り返し述べているように、パラダイスは究極的な理想社会ではない。では、無難な人生の「水平的幸福」の何が問題なのか。それは太宰治が「家庭の幸福は諸悪の本」と言わざるを得なかった問題と通底している。すなわち、「無難な人生の幸福は諸悪の本」なのだ。例えば、見知らぬ誰かが虐められている時、自分の無難な人生に執著し続ける限り、「やめろ!」の一言は永久に発せられない。その一言を発したが最後、今度は自分が虐めのターゲットになって無難な人生は永久に消滅してしまうからだ。触らぬ神に祟りなし。虐めにせよ何にせよ、無難な人生の幸福を維持したいなら、見て見ぬ振りをするのが一番。鄙見によれば、人が個々の無難な人生にしがみついてそこに閉じこもる限り、虐めはなくならない。戦争も、貧富の差もなくならない。それらが自分の無難な人生の外にある限り、「水平的幸福」は曲がりなりにも維持される。それでいいのか。無難な人生からの一歩のみが世界に巣食う諸悪に対する「やめろ!」の一言を可能にする。それは垂直の次元への一歩でもある。