「強さの正しさ」とは別の道
重力と同様に、強さがこの世界を支配している。この現実に直面する時、私は幕末の黒船来航を思い浮かべる。当時の人は、黒船に象徴される欧米諸国の圧倒的な強さを目の当たりにして恐れ戦いた。とても敵わない。戦えば、間違いなく阿片戦争の清国と同じ運命を 辿ることになる。その二の舞を避けるためには強くならねばならぬ。強さには強さで対抗するしかないのだ。かくして幕府は倒れ、明治維新となった。それから富国強兵の道を邁進し、幸か不幸か、日本は強くなった。少なくとも東亜を曲がりなりにも支配し、欧米と戦えるほどに強くなった。しかし、日清・日露の戦勝以降、日本の強さも次第に陰りを見せ、最終的には昭和二十年の夏に地に落ちる。その際、「強さの正しさ(支配)」に対する深い反省がなされたと思われるが、結局は依然として強さにしがみついている。「軍事力では負けたが、経済力でリベンジだ!」などと威勢のいいことも叫ばれた時代もあったが、その経済力も怪しくなってきた。日本は再び強くなれるのか。しかし、強くなることだけが日本の選択肢だろうか。むしろ、今こそ「強さの正しさ」について真剣かつ根源的に思耕すべきではないか。弱くなれ、もしくは弱いままでいい、などと言うつもりはない。「強さの正しさ」についての思耕は決して負け犬の遠吠えではない。