理想社会をめぐる重力と恩寵 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

理想社会をめぐる重力と恩寵

この世界は重力が支配している。十キロは五キロより重い。五キロが十キロより重くなることなどあり得ない。当然のことだ。重力の支配から逃れられる場所はどこにもない。しかし、そのどこにもない場所こそユートピアだ。そこでは重力ではなく恩寵が働く。シモーヌ・ヴェイユも言っている、「魂の自然な動きは全て、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される」と。しかし、重力が悪いわけではない。少なくとも、私は無重力状態を理想とは思わない。あるいは、無重力が恩寵だとも思わない。そもそも重力なくして誰も生きてはいけないだろう。生活に重力は欠かせない。ただし、重力は時に悲劇を生む。自然災害等で大きな岩が落下してきて多くの人を死に至らしめる。重力に罪はない。岩にも罪はない。しかし、悲劇は起こる。重力の支配を呪いたくなる。その時、死者が甦るとか、落下する岩が静止するなどの奇跡が生じれば、大衆はそこに恩寵を見るだろう。しかし、奇跡は生じないし、生じたところで、そんなものが恩寵であるとは思えない。では、恩寵とは何か。重力が支配する世界において、重力に抗して垂直に生きることを可能にする何かだ。再びヴェイユを援用すれば、理想社会の「創造は、重力の下降運動、恩寵の上昇運動、それに二乗された恩寵の下降運動とから成る」と言うことができる。