私は正しい(9)
人間を信じることなくして私の正しさはあり得ない。ちなみに、相変わらず私は多くの刑事ドラマ観て、様々な殺人に日々立ち会っているが、どれ一つとして「納得のいく殺人」はない。当然だろう。「納得のいく殺人」などある筈がない。あったら大変だ。余談ながら、或るテレビ番組で 殺人と武器の発達の関係を問題にしていた。目の前にいる人を刃物で殺すには、それなりの覚悟と度胸を要する。簡単にできることではない。そこには明確な殺人のリアリティがある。それが槍や弓矢の発達によって遠くにいる人を殺すことが可能になると、相手の顔もよく見えなくなり殺人のリアリティは稀薄になる。更に飛び道具を経て爆弾にまで至ると、もはや相手の顔など目にすることなくボタン一つで何万人もの殺人が可能になる。そこには殺人のリアリティは殆どなくなり、恰もゲーム感覚で殺人ができるようになる。厳密に言えば、それはもはや殺人ではない。単にモノを消去しているだけだ。それに対して、ラスコオリニコフは老婆一人殺すにもあれほどの苦悩を余儀なくされた。その途方もない苦悩こそ殺人のリアリティに他ならない。今のドラマに殺人のリアリティは皆無だ。現実の殺人事件にもない。鄙見によれば、人が人を殺すことはあり得ない。人は無意識の裡に殺す相手をモノと化している。モノへの転化なくして殺人は起こらない。それにもかかわらず、人は人を殺す。その殺人のリアリティに人間への道が開いている。