「白紙運動」の発展的拡大解釈 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

「白紙運動」の発展的拡大解釈

周知のように、中国における白紙革命の「白紙」はゼロコロナ政策に対する抗議として掲げられたものであり、その主たる目的は当局による弾圧を回避することにあった。すなわち、白紙には何も書かれていないので、その抗議を具体的に取り締まることができないのだ。勿論、抗議内容は明白なので当局も黙ってはいなかったが、結局はゼロコロナ政策が終了した事実からすれば、白紙を掲げて抗議するという戦略は功を奏したと言えよう。しかし、昨日の便りで述べたように、私は「白紙運動」を単なる抗議の戦略とは考えていない。あくまでも歪んだ現状を「白紙状態」に戻す運動だと解している。言うまでもなく、これは私の勝手な解釈であり、歴史的事実に反する。しかし、批判を承知の上で、私は敢えて単なる戦略以上のものとして発展的に拡大解釈したい。そうすることで「白紙運動」を普遍的なものにしたい。例えば、ルターの宗教改革などもキリスト教の「白紙運動」と解することもできるだろう。当然、仏教などの他の宗教についても「白紙運動」は考えられる。いや、宗教だけではない。あらゆるものについて常に「白紙運動」は問題にされるに違いない。それは原点回帰の運動だと言ってもいい。原点が存在する。「その先の問題」を忘れるわけにはいかないが、今は「白紙運動」に集中すべき秋なのかもしれない。