空(くう)の色
「色即是空 空即是色」と言うが、色=空であるならば、空の色は何か。論理的には、空に色はない。無色だ。従って、空の色を問うことは無色の色を問うことに等しい。明らかに論理が破綻している。ただ、その破綻を更に論理的に考えれば、イデアと現象の関係が見えてくる。空がイデアで 、色が現象だ。空なくして色なし。色なくして空なし。空と色は相即している。切り離し得ない。例えば、椿の花を見て、赤という色の現象を見る。赤そのもののイデアは見えない。空だ。しかし、空は無としてある。見えない空のイデアなくして赤という色の現象はない。これは詭弁であろうか。牡丹の花を見る。赤という現象を見る。この赤は椿の花の赤と同じであろうか。赤と紅と区別しても、イデアと現象の関係は変わらない。私は赤と紅という二つのイデアを想定するよりも、一つの無色の空から様々な色が限りなく現象すると考えたい。そして、たとい科学者に妄想だと嗤われても、赤そのものとか紅そのものといった見えないイデアの純粋な色を求めるのではなく、この現象の世界を様々な色が乱舞する祝祭の場としたい。そこに私の究極的な理想がある。赤も紅も白も黒も、皆同じ色だ。特別な色などはない。様々に現象する色の共働が世界を祝祭空間と化す。純粋な色は神の国にのみ存在する。人間の国では色の祝祭が理想となる。