Im-Roman-Sein | 新・ユートピア数歩手前からの便り

Im-Roman-Sein

「言葉は存在の住処だ」とハイデガーは述べているが、人はその言葉で物語を織り出していく。「物語ー内—存在」。人は世界を劇場にする。そこで人生の物語が展開する。どんな物語を生きるかは人それぞれ自由だ。しかし、そのことを自覚するには或る程度の時間と経験を要する。人がこの世界に投げ出された時、そこにはすでに物語があった。それは生まれた場所の民俗や歴史に基づいて、両親や教師やマスコミなどによって書かれた様々な成功物語(サクセスストーリー)だ。例えば、日本人として恥ずかしくない生き方をする。その上で、医者とか弁護士とかプロのスポーツ選手とか、社会的に評価の高い仕事で成功することを目指す。おそらく、殆どの人は自然にそうした既存の成功物語に即して生きようとするだろう。その結果、そのまま順風満帆の成功物語を生きる人もいれば、挫折の物語を余儀なくされる人もいる。また、その挫折によって、既存の成功物語ではない、自分本来の成功物語を見出す人もいる。実際、成功しても挫折しても、それぞれが物語になる。あるいは、成功を目指すことを最初から拒絶しても、生きること自体を強制終了させても、それが物語であることに変わりはない。人はどんな風に生きても、生きなくても、否応なく物語をつくってしまう。世界は無数の物語から構成されていて、人は物語から逃れることができない。それが水平の次元における人生の運命だ。では、その先に如何なる物語が可能であろうか。