その先にある革命(8)
改めて問題の整理。人が幸福になりたいと願う気持に嘘はない。そこで「パラダイスを求める革命」というものを想定してみる。全世界の人が例外なく幸福に生きられる場の実現。それは「世界の水平化」を要請する。ただし、それは「人間の平等化」と厳密に区別しなければならない。能力のある人を抑制して、能力のない人との平均値を割り出す、ということではない。バリアフリーとは差別をなくすことであって区別をなくすことではない。障害者と健常者は違う。同じになんかならない。例えば、車椅子の人でも自由にどこへでも行けることがバリアフリーであって、全ての人に車椅子生活を強要することではない。当然のことだ。人はそれぞれ違う。生来の違いもあれば、不幸な事故や病気で障害を背負う違いもある。「世界の水平化」とは、そうした様々な違いで差別することなく、あくまでも違いを区別して共に生きることを意味する。日本人とアメリカ人は違う。その違いはしっかりと区別して、国際人(日本人もアメリカ人も同じ人間)という曖昧な平等化によってお茶を濁すべきではない。しかしながら、民族戦争や宗教戦争の現実を目の当たりにすると、「世界の水平化」は殆ど実現不可能な理想にしか思えない。どうしても優劣の意識を乗り越えることができないからだ。そこに水平革命としてのパラダイスの限界がある。個々人がそれぞれの能力に応じて幸福になることは可能だ。金持には金持の幸福があり、貧乏人には貧乏人の幸福がある。同様に、健常者には健常者の、障害者には障害者の幸福がある。そこに優劣を意識すれば、たちまち差別が生じる。では、「それぞれの違いを区別して共に生きる」とは如何なることか。その答えは「世界の水平化」の先にある。