その先にある革命(2)
「その先にある革命」などと言えば、目の前で苦しんでいる民衆の問題をおざなりにして、究極的な問題へと飛躍しようとしていると思われるかもしれない。確かに。私は善きサマリア人でない。それは認める。善きサマリア人なら、目の前の民衆の苦しみだけに集中して、民 衆と共にその苦しみと戦うだろう。例えば、先日、「知的障害と子育ての問題」を考えるテレビ番組を観た。それは或る北海道の施設が知的障害者の男女に対して「不妊手術を受けなければ、今後の支援はできない」と通達したことに発する問題だ。言うまでもなく、知的障害者を取り巻く現実は甘いものではない。現実に子育てできるかどうか不安になるのは当然だ。当該の施設の人も別に悪意で不妊手術を求めたわけではないと思う。むしろ、親切心で言ったのではないか。勿論、たとい親切心であったとしても、その要求自体は明らかに間違っている。番組の中でも主張されていたが、障害があろうとなかろうと、人は誰でも好きな人と結ばれて家族をつくる権利がある。そうした「家庭の幸福」への基本的人権は誰が何と言おうと皆で死守しなければならない。言い換えれば、もしその人権を蹂躙する者がいれば、我々はその暴力と徹底的に戦わなければならない。その意味では、第一の革命は未だ成就していない。しかし、その成就のためにも「その先にある革命」が不可欠ではないか。何れにせよ、私は目の前の民衆の現実問題と人間の究極的問題の二つに引き裂かれている。