反論
幕末の江戸にタイムスリップした南方仁はその類稀な医療技術によってコロリ(コレラ)に立ち向かい、ペニシリンを独自に開発するなどして多くの民衆のイノチを救った。彼の活動に感動しながら、私はもし自分が南方先生と同じような境遇に陥ったら何ができるのかと考えた。何もできない。江戸時代から遥かに発展した科学技術文明の現代に生きながら、私個人には特別な能力など皆無に等しいからだ。自動車もパソコンもつくれない。しかし、私個人の無能力はさておき、現代の社会としての「進化」は明白だ。江戸時代には治せなかった病気や怪我が今では治すことができる。様々な機械の発明で、かつては不可能であったことが可能になる。そして封建的な身分制社会が曲がりなりにも民主的な自由平等社会になった。総じて、江戸の民衆から見れば、現代社会はパラダイスであろう。確かに、社会は飛躍的に便利になった。できないことができるようになった。しかし、それにもかかわらず、現代に生きる人たちは未だ生きづらさを抱えて生きている。その生きづらさは人それぞれであり、原因も様々だ。貧困、戦争、病気など。それらは現代社会の更なる「進化」によって解消するのであろうか。医療技術の進歩によって不治の病もどんどん減っていくに違いないが、どうしても癒せない病が残る。それは「健康」という病だ。どうして「健康」が病になるのか。「健康」であれば人は幸福になれるのではないか。「健康」であっても、貧困や戦争が人を不幸にすると言うのなら、完全なる「民主的な自由平等社会」が実現すれば人は幸福になれるのか。このような問いから、反論の糸口を探りたいと思う。