俗物と聖人
偉そうに俗物批判をしているが、私は自分の中に俗物が住んでいることを否定しない。だからこそ私は俗物批判をし続ける。しかし、その批判は私の中の俗なるものを滅却するためではない。少なくとも私の中の聖なるものを生かすために俗なるものを殺すことではない。俗物の反対が聖人であるならば 、私は聖人批判もし続ける。先日、比叡山に一人きりで十二年間籠り続ける行(籠山行)を成就した高僧のドキュメンタリーを観たが、正に聖人だと感心した。十二年間も孤独に己事究明に集中することは並大抵のことではない。しかし、聖人は人としての生き方の頂点かもしれないが、「人間として本当に生きること」の往相でしかない。もし聖人であることに満足し、そこに止まるならば、それは人間として中途半端な生き方だと言わざるを得ない。私は俗物と聖人に引き裂かれる現実に生きている。それが私の「この道」であり、その先に人間の究極的な理想が結実すると信じている。