思耕錯誤(2)
優等生と不良を対比したが、殆どの人はその中間を生きている。すなわち、フツーの人生だ。可もなく不可もなし。勉強やスポーツで特に目立つことはなく、それでも彼女や彼氏の一人ぐらいはいて、放課後や休日にそれなりに青春を謳歌する。最近のドラマを観ていると、そういうことを「アオハルする」と称するらしいが、これといった特性のないフツーの人生が一番幸せなのかもしれない。殊にいじめ、貧困、病気などで「アオハル」どころではない若者たちにとって、フツーの人生は輝いているだろう。天才的な才能なんかいらない。富や社会的地位や名声など問題ではない。ただフツーに生きられる居場所さえあればいい。それが生きづらさを抱えて日々を過ごしている人たちの切実な本音ではないか。苟も理想社会を問題にする以上、そうした本音を無視することはできない。少なくとも私は様々な理由で居場所を失って彷徨う若者たち、例えば最近「トー横キッズ」と称されている若者たちを問題にしたい。実におこがましいことながら、若者たちに限らず、居場所をなくした人たち全てを救いたいと思っている。しかし、どうすればいいのか。
★
言うまでもなく、すでに「トー横キッズ」やホームレスの人たちを何とか救済しようと懸命に活動している人たちがいる。その奮闘ぶりをテレビ番組で垣間見ると、私はいつも頭が下がる思いがする。こういう地道な活動を続けている人たちがいることに勇気が湧いてくる。しかし、誤解を恐れずに言えば、違和感もある。それは決して「そんな活動など意味がない」という非難の違和感ではない。活動はある。居場所をなくした人たちにとって必要不可欠な活動はある。しかし、思耕がない。「新しき場」についての思耕がない。どうも上手く表現できないが、そんな違和感が私の内部で渦を巻いている。