垂直図書館(6)
「いま、多くの人が、もちろん会社の仕事に一生懸命に打ち込む半面、「自分の場」をつくることを実践しています。少し情緒的な言い方をすると、社会に自分の居場所をつくるためのアクティビティを盛んに行っているということです。
それを代表する言葉が「サードプレイス」でした。第一の場所「ファーストプレイス」が自宅。第二の場所「セカンドプレイス」が学校や会社などの職場。そしてその二つの場所の中間地点にある第三の場所が「サードプレイス」と呼ばれています。サードプレイスには、馴染みが集うカフェ、シェアオフィスなどが含まれる、社会における自分の第三の居場所です。
こうした表現が一定の支持を集めた社会背景を考えた時、これからの市民活動が行われる場所はまさにサードプレイスであることがわかります。そして、そこには公共施設の図書館も含まれてしかりです。この「場所」という表現は「コミュニティー」とも言い換えられます。ファーストプレイスの自宅には、家族のコミュニティーが、セカンドプレイスには学校や会社のコミュニティーが、そしてサードプレイスにはカフェ、シェアオフィス、そして図書館のコミュニティーがあるのです。
また、これからは働き盛り世代を市民活動にどのように取り入れていくのかも課題として大きくなりつつあります。まさに図書館が主体性をもってソーシャルデザインやコミュニティーデザインを考えていくべきときなのです。」
(岡本真・森旭彦『未来の図書館、はじめませんか?』)
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サードプレイスとしての図書館は明らかに水平図書館だ。そもそもサードプレイスはファーストプレイスやセカンドプレイスに居場所のない人が集まる場所ではない。上記の引用では「ファーストプレイスとセカンドプレイスの中間地点にサードプレイスがある」とされているが、三つの場所は同心円上に位置していると考えるべきではないか。すなわち、「自分の場」は自宅(更に言えば、自宅内の鍵のかかる自分の部屋)を中心に、学校や職場を経て、サードプレイスへと波紋のように広がっていく、ということだ。言わば私的領域から公的領域への発展であり、そこにラディカルな次元の違いはない。これは実に健全な社会の在り方だと思われる。幸福な家族のコミュニティーを中心に、学校や職場のコミュニティーも良好で、時にカフェや図書館のコミュニティーを楽しむことができる。三つの場所が有機的に噛み合うバランスの良い社会はパラダイスと言ってもいいだろう。しかし問題は、自宅にも学校や職場にも居場所のない人の場合だ。むしろ、そうした人たちが切実に求める場所こそがサードプレイスではないか。実際、学校や職場に居場所を失った人は自宅に引きこもることになる。とは言え、引きこもる自宅に自分の居場所があるわけではない。自宅にさえ居場所がなくなれば、ネットカフェなどを彷徨うしかなくなるが、そこがサードプレイスとなる。水平図書館はネットカフェよりもマシなサードプレイスだが、更に理想的なサードプレイスを新しき村に求めることもできるだろう。率直に言って、私はこれまで「サードプレイスとしての新しき村」を構想していた。しかし最近、私が求めているユートピアはどうも違うような気がしている。勿論、「サードプレイスとしての新しき村」も重要であり、私は毛呂山の村が多くの人たちの「新しき居場所」になることを願っている。しかし、それはユートピアではない。「居場所のない人の居場所」の実現という使命は微動だにしないが、それは究極的にはサードプレイスを超えていくことになるだろう。ユートピアとしての垂直図書館は第四の「場」に他ならない。そして、それはどこにもない。