生きる意味(6) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

生きる意味(6)

どんなに切実な理由があろうと、自殺者は贅沢だ。甘えている。生来の障害や難病、不慮の事故や病気で生きたくても生きられない人にとって、自ら命を絶つことほど無意味なことはない。それは二重に意味がない。生は明らかに「生きる意味」を超越している。されど「生きる意味」はなくとも自殺する意味はあるということか。一般的に言えば、「生きる意味」を失って人は自殺する。しかし、自殺者は何を殺したのか。「自分自身を殺した」と言うならば、自分自身の何を殺したのか。生ではない。人は命を絶つことができても生を否定するはできない。そこに自殺者の致命的な誤算がある。いや、誤算ではなく、命を絶つことで生を永遠化しようとする自殺もあるだろう。典型的な例を挙げれば、自らの無実を証明するための自殺だ。すなわち、自らの命を絶つことで無実の自分を永遠に生きさせるのだ。言うまでもなく、「自らの命を絶つ」ことと「無実の自分を永遠に生きさせる」こととの間には何ら因果関係はない。酷な言い方かもしれないが、自殺が自らの無実の証明になるというのは自殺者の勝手な思い込みであり、畢竟甘えにすぎない。失恋して自殺する人、受験に失敗して自殺する人、リストラされて自殺する人、他にも様々な理由で自殺する人がいるが、命を絶っても生からは逃れられない。いじめ自殺は実質的には他殺なので少し事情が異なるが、命を絶って生から逃れようとしても無駄だ。無駄を承知でそうせざるを得ない苦しみの深さがあるにしても。