パラダイスの批判(6)
この腐敗した世の中を何とか良くしようと頑張っている人はたくさんいる。貧しき人々を豊かにし、虐げられた人々を自由にするヒーローたちだ。貧困のない、犯罪のない、戦争のない世界の実現。ヒーローたちはパラダイスを目指す。ただし、それは未だない普遍的なパラダイス、誰もが等しく享受できるパラダイスでなければならない。従って、ヒーローたちはすでにパラダイスを享受している一部の既得権益者を戦いの標的にする結果となり、露骨に言えば金持・犯罪者・独裁者の一掃がヒーローたちの任務となる。当然、その任務を果たすためには金と力が必要になる。金と力がなければパラダイスは実現しない――それが水平の次元の鉄則だ。しかし、何かおかしくはないか。金と力はパラダイスを実現すると同時に腐敗もさせる。貧しき人々と虐げられた人々が金と力を得てパラダイスを享受できても、それは新たな貧しき人々と虐げられた人々を生むことになりはしないか。確かに、金と力がなければ如何なる運動も始まらない。それが運動の現実だ。しかし、そのような運動ではついに人間の究極的な理想にまで辿り着けないだろう。そこには金と力とは次元を異にする何かが不可欠だ。その何かを取り敢えず垂直性と称するならば、それは水平の次元では徹底的に無力でしかない。かつて「戦車と言葉」という対比について語った思想家がいたが、垂直性は戦車に対する言葉のようなものだ。「敵の戦車に勝つためにはそれ以上に強力な戦車を持つしかない」と考えるのが水平の次元の論理だとすれば、垂直性はあくまでも言葉による徹底抗戦を求める。果たして言葉は戦車に勝てるだろうか。