ヒーローが立ち去った後(8)
ヒーローの運命について考える時、私はいつも黒澤明の「七人の侍」のラストシーンを思い浮かべる。志村喬演じる勘兵衛は「勝ったのは百姓たちだ、わしたちではない」と呟くが、ヒーローは常に負け戦を余儀なくされる。とは言え、勘兵衛たちは決して負けた わけではない。むしろ、百姓たちを苦しめる野武士軍団を壊滅させたのは七人の侍であり、彼らは掛け値なしのヒーローに他ならない。しかし、勝利者ではない。野武士軍団には勝利したが、それは人間としての本当の勝利ではない。余談ながら、それは小次郎に勝利した武蔵の敗北感に通じるものがある。「勝利者の敗北感」とは奇妙な言葉だが、そのような逆説でしかヒーローの運命を表現することはできない。ヒーローは悪を退治するのが使命だが、その勝利には否応なく敗北感が付き纏う。言い換えれば、勝利の美酒に酔い痴れている者は本当のヒーローではない。連戦連勝、勝てば勝つほど敗北感が募っていく。だから、ヒーローは静かに立ち去るしかないのだ。その後に何が残されるか。平穏無事な日常を取り戻した百姓たちだ。勘兵衛によれば、そうした百姓たちこそ本当の勝利者だということになるが、私には異論がある。百姓たちが本当の勝利者になるためには、ヒーローが立ち去った後の世界の在り方について更に深く思耕する必要があるのではないか。