新しき村は理想主義のカリカチュアか(3)
理想主義と現実主義が戦えば、前者は必ず敗れる。必然的な敗北が理想主義の本質だと言ってもいい。例えば、ケン・ローチが「大地と自由」において描いたスペイン革命。反ファシズムという共通の理想を求めながら、アナーキストと スターリニストは異なる運命を辿る。すなわち、アナーキストは必然的にスターリニストに敗れる。もしアナーキストがもっと現実的だったら、おそらく勝利していただろう。しかしアナーキストは理想を重視した。理想を失えば、もはやアナーキストではない。だからアナーキストは、たとい負けるとわかっていても、理想を放棄することができない。愚直と言えば、これ以上の愚直はない。ただし、問題は理想への愚直なまでの執著にではなく、あくまでも理想の重視が現実の軽視をもたらしたことにある、そう考えるのが一般的だ。とは言え、理想と現実、両者共に重視することなどあり得るのか。それは自然法則に反し、理想と現実の両立を望むこと自体が理想主義の空想ではないか。確かに、現実は重力のようなもので、この物理的世界に生きる限り、我々はそれに抗えない。上にあるものは必ず下に落ちる。理想主義が必ず現実主義に敗れるように。弱肉強食の自然世界の鉄則だ。それにもかかわらず、その鉄則に敢えて反抗を試みるならば、ヴェイユの言うように、その可能性は恩寵に求めるしかない。正にこの恩寵こそ垂直の次元に他ならない。我々は重力に徹底的に抗いながら、愚直に恩寵を待ち望む。