新しき村は理想主義のカリカチュアか(2) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

新しき村は理想主義のカリカチュアか(2)

「人道主義のカリカチュア」とは如何なる意味か。そもそも人道主義が悪だなどと思う人は皆無だろう。むしろ、誰しも人道主義は善だと信じている。しかし、人道主義を貫いて生きようとすると、たちまち愚直だと嗤われる。現実がわかっていないと非難される。例えば、今のウクライナにおいて(ロシアにおいても基本的には同じだが)「戦争は人殺しであり人道に反する。それ故、自分は兵士にならない」と主張すればどうなるか。結果的に、その人道主義はロシアの侵略を許容することでしかないだろう。殺さなければ殺される。それが現実だ。実篤は「殺されても死なないもの」を問題にしたが、これなどは正に愚の骨頂に他ならない。しかし、その愚をただ嗤っているだけでは、人道に反する醜悪な現実は永久に一ミリも動かない。それでいいのか。少なくとも我々は人道を貫く理想主義に全てを賭ける。その覚悟がある。甘いと嗤われてもいい。それは確かに極めて愚かなことではあるが、決して苦悩がないわけではない。ましてや断じてカリカチュアなどではない。ラディカルな理想主義としてのユートピアは空想性や反動性の対極に位置する。では、ラディカルな理想主義とは何か。