新しき村は理想主義のカリカチュアか | 新・ユートピア数歩手前からの便り

新しき村は理想主義のカリカチュアか

三木清の「構想力」と共に、西田哲学の現代的発展の可能性を私は鈴木亨の「労存」並びに「響存」に見出している。それらに学びながら「祝祭共働態」の具体相を摸索しているが、その途上で、鈴木亨の次のような言述に遭遇した。

「大正にいたって、日本においてヒューマニズムと呼ばれたのは、さきの内村鑑三などの潮流であるキリスト教人道主義が、トルストイなどの影響と相まって、主として文学上に現れたものであった。そしてその頂点を形造るものは有島武郎であり、のちに白樺派の文学運動となっていったものであろう。

有島は自己の土地を小作人に解放したり、文学の上で人間への愛情豊かな思想をあらわしたが、しょせん貴族の慈善的・博愛主義的性格を脱するものではなく、たんに自己の個人的良心の満足を超えるものではなかった。しかもこの個人と社会との矛盾はついに彼をして自殺にまでかり立てねばやまなかったのは周知の通りである。有島によってそれでも自己の奥底にまで達した人道主義は、その後継者たちにあっては、個体の内面へも深められず、社会の外面へも働き得ず、苦悩をもたない人道主義として、ヒューマニズムそのものの本質を失いつつ、エゴイズムにまで堕し去ったのである。そして武者小路実篤の新しき村運動において人道主義は一つのカリカチュアとなりおわっている。」(鈴木亨「現代文明と人間の運命」)

果たして有島は「貴族の慈善的・博愛主義的性格」の人でしかなかったのか。しかし、鈴木の有島理解の妥当性はここでは不問に付す。問題は我々の新しき村運動が「人道主義のカリカチュア」と見做されていることだ。鈴木はどれほど深く新しき村運動について思耕したのか。本当に我々の運動は「苦悩をもたない人道主義」なのか。

鈴木は更に「新しき村運動の空想性と反動性を指摘し、批判したものの一人は、自己をたんなる人道主義者から科学的社会主義者にまで高め得たヒューマニスト河上肇であった」と述べ、最終的には「河上肇において日本のヒューマニズムが一つの典型を表現したものと言えよう。この日本人民のヒューマニズムに根ざす革命的潮流は、あらゆる弾圧に屈せずして、ファシズムが荒れ狂う間も奥深く流れ、ついに一九四五年連合諸国の反ファシズム軍とともにファシズムを壊滅させたのであった。ここに日本人民のヒューマニズムが脈動している」とまで称揚している。確かに、当時の実篤の天皇に対する姿勢からすれば、その反動性を批判されても仕方がない面もある。その空想性についても、すでに大杉栄などからの鋭い批判もある。しかし、そうした批判は深く胸に刻みつけながらも、私は科学的社会主義がヒューマニズムの極北だとは到底思えない。周知のように、「空想から科学へ」と和訳されているエンゲルスの著作の原題は「Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaft」、すなわち「ユートピアから科学(学問)への社会主義の発展」だ。一般的には「ユートピア=空想」というのがほぼ常識になっているが、私はその常識を覆したい。少なくとも「新生・新しき村」は空想性とも反動性とも無縁のものだ。そのことについて少し思耕を試みたい。