ユートピアへの絶望(2) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

ユートピアへの絶望(2)

ETVに「ねほりんぱほりん」という人気番組がある。様々な興味深い体験者(女子刑務所の服役者、ギャンブル依存症の人など)の裏事情をブタの人形劇仕立てで聞き出すもので、私も毎回楽しく観ている。その中で、先日はFIREを取り上げていた。FIREとは、

Financial

Independence

Retire

Early

すなわち「経済的に自立して早期に退職した人」のことらしい。番組には二十代と三十代の男性が呼ばれていた。ただし、一口に「経済的に自立」と言ってもピンからキリまであり、本当の意味で悠々自適な生活をしている富裕なFIREはほんの一握りであるようだ。今回のゲストは最低限の経済的自立を果たしているギリギリFIREと称される人たちだった。つまり、ギリギリに節約して食うに困らぬだけの資産を確保している、ということだ。その意味では中国の「寝そべり族」と通じる面もあるが、ギリギリFIREには単なる生存以上に自分の好きなことをして過ごす経済的余裕がある点に違いがある。尤も、「寝そべり族」は何もせずにただボーっとしていることが自分の好きなことだと言うかもしれないが…。

何れにせよ、「嫌な労働をしないで、自分の好きなことだけに没頭できる生活」に幸福が見出されていることは間違いない。これは一見したところ、新しき村が求めている生活と変わらないように思われる。すなわち、「労働を最小限(将来的にはゼロ)に、自分の好きなことを最大限にする生活」だ。しかし、「自分の好きなこと」とは何か。FIREの人たちは好きなアイドルの動画を観たりゲームをしたり、あるいはお気に入りのレストランで食事をしたり旅行をしたりして日々楽しく過ごしていると語っていた。新しき村の人たちなら、それよりはやや高尚な藝術活動への没頭を説くかもしれない。しかし、両者に本質的な差異はない。どちらも私的領域における趣味の閾を超えることはなく、そこにユートピアへの道を切り拓く契機は見当たらない。実際、世の多くの人たちはFIREの「幸福な生活」を羨ましく思うだろう。それに根源的な異議を唱えるユートピアの出る幕はない。