伝統と正統 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

伝統と正統

伝統的なユダヤ教にとってイエスの教団はカルトのように見えたのではないか。そのイエスの教団も発展して伝統的な宗教、すなわちキリスト教として実定化されると、そこから宗教の堕落が始まる。すると、その堕落した宗教性に対してプロテストするルターのような人間が現れるが、彼もまた伝統的なキリスト教からはカルトと見做されたのではないか。これはキリスト教に限らない。ブッダの教団においても同様だろう。伝統が悪いわけではない。また、カルトを擁護するつもりもない。しかし、一つの疑問を抑えることができない。立派な伝統的な宗教が数多あるにもかかわらず、どうしてかくも多くの人々(特に若者)がカルトに走るのか。伝統的な宗教ではすでに失われた何かがカルトにはあるに違いない。それは一体何か。カルトの魅力とは何か。しかし厳密に言えば、一般社会からカルトと認定された時点で、すでに宗教の堕落は始まっている。ちなみに、今イランの女性たちが求めているものがイスラームの伝統に対するプロテストだとすれば、それが正統に達するためには何が必要なのか。確かに、カルトには伝統的な宗教の堕落を批判する力があるかもしれない。しかし重要なことは、そうした「伝統を批判する力」を「正統を生み出す力」へと転化させていくことではないか。その意味において、カルトにおける宗教性は中途半端なものだと言わざるを得ない。