ユートピアの筋書(6) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

ユートピアの筋書(6)

本来、無為自然は桃源郷と言うべきであって、エデンとは違う。その違いを端的に言えば、エデンはユートピアの原点であるが、桃源郷はそうではない。これはどういう意味か。桃源郷とユートピアは質的に全く異なる。桃源郷はそれ自体で完結した理想であるのに対し、ユートピアはドラマを孕んだ理想なのだ。従って、エデンはユートピアというドラマの起点になるが、桃源郷には如何なる発展の余地(必要)もない。尤も、桃源郷もそこに辿り着く過程にドラマを見出すことは可能だろう。ただし、そのドラマにおいて理想としての桃源郷は終始一貫ビクともしない。ユートピアは違う。エデンの理想は失われる運命にあり、その失楽園の絶望からユートピアのドラマは始まる。とは言え、桃源郷とエデンの理想としての構造は共通している。エリアーデに即して言えば、それは永遠回帰の神話、すなわちarchetype(祖型)の無限の反復を享受する生活に他ならない。その俗的表現が「衣食住の懸念なく日々ノンビリ暮らせる生活」だが、これはもはや現実にはあり得ない理想となっている。だからこそ、桃源郷が求められるわけだが、私は敢えて「失われたエデン」という筋書を選びたい。そこには循環するコスモス(永遠回帰の神話)よりも新しき何かを求めるヒストリーを選ぶ人間の運命があるからだ。エリアーデは「歴史の恐怖」を問題にしているが、「失われたエデン」から始まるユートピアのドラマは一筋縄では行かない。