ユートピアの筋書(5)
「エデンはヘブライズムの楽園であり、アルカディアはヘレニズムの楽園だ。前者の本質が他律的な唯一絶対神の支配にあるとすれば、後者の本質は人間の自律を促す神々の愛にある」――そうした対比が考えられる。ただし、私は学問的には死んだも同然の人間なので、それを歴史学的に裏付けるつもりはない。つもりはあっても、その能力がない。従って、エデンにおける支配とアルカディアにおける愛は象徴的な対比でしかない。とは言え、先述したように、主人の奴隷に対する一方的な支配に愛を見出すことはできる。しかし、それは「真の愛」ではない。尤も、愛について厳密に考えようとすれば、「アガペー・エロ―ス・フィリア」の区別とか愛と恋の違い(愛には心が真中にあり、恋には下心がある)を問題にしなければならないが、ここでは「真の愛」はあくまでも対等な関係を前提にした「相互承認」としたい。当然、神と人間の相互承認は人間と人間の関係にも反映し、必然的に主従関係のディコンストラクションが要請される。端的に、エデンは絶対的な神によって与えられた「他律の楽園」、アルカディアは人間がつくる「自律の楽園」、と言ってもいい。「アルカディアはエデンの前向きの反復だ」と言うのはそういう意味だ。
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さて、このようなエデンとアルカディアの象徴的な対比もさることながら、その本質的な共通点を忘れてはならない。それは「衣食住の懸念なく日々ノンビリ暮らせる生活」だ。そして、その共通点だけで判断すれば、エデンの方が楽園として優れているというのが一般的な見解だろう。エデンにおいて人間は神の絶対的な支配の下で無条件に安楽な生活を享受できるからだ。尤も、神話ではエデンにおいて人は「耕す」という行為をしているが、エデンの象徴的本質からすれば無為自然と考えたい。つまり、神の恩寵によって人間は無為のまま日々遊んで暮らせる、ということだ。正に飼い主に溺愛されるペットの如き生活だが、これこそが「衣食住の懸念なく日々ノンビリ暮らせる生活」の極致だと思われる。実際、もし可能なら、エデンにおける神に飼い馴らされた安楽生活を望む人は少なくないだろう。しかし、幸か不幸か、エデンは永久に失われた。絶対他律の神は死に、無為自然などもはやどこにもない。従って、もし「衣食住の懸念なく日々ノンビリ暮らせる生活」を持続可能なかたちで望むならば、我々はそれを我々の力で創るしかない。それがアルカディアだ。