純白の超克(2):キレイゴト | 新・ユートピア数歩手前からの便り

純白の超克(2):キレイゴト

実におこがましい言い方になるが、私は或る使命感を以てこの便りを書いている。殆ど誰にも読まれない便りではあるけれども、いつか誰かが共鳴してくれるものと信じて発信し続けている。しかし、その一方で、キレイゴトばかり書いているという忸怩たる思いもある。「人生の理想? こんな腐敗した世界のどこに理想があるのか!」――そう言われれば、私には返す言葉がない。いや、必死に反論は試みるが、結局それはキレイゴトの繰り返しでしかなく、私の言葉は虚しく中空を彷徨うだけだ。誰の心にも響かない。どうしてなのか。キレイゴトではいけないのか。

ところで、私は山田太一の書くドラマが好きで、中でも「男たちの旅路」は何度も繰り返し観ている。図らずも今再放送されていて、今日も第一部を締め括る第三話「猟銃」を観た。このドラマの舞台はガードマンの世界で、特攻隊の生き残りである中年の吉岡と部下の若者たちとの軋轢が核となっている。総じて言えば、鶴田浩二演じる吉岡は事あるごとにキレイゴトを言い、それを若者たちは胡散臭く思っている。吉岡の言っていることはいつも正論だ。一本筋が通っている。それに対して若者たちは、内心羨ましく思いながらも、やはり時代遅れの古ぼけたキレイゴトだとしか受け取れない。今回の第三話でも、猟銃をもった強盗が吉岡たちガードマンに宝石売り場のセキュリティを解くように要求しても、吉岡だけはあくまでもキレイゴトで対抗する。「お前たちは自分の命を犠牲にするほどの給料をもらっていないだろう。素直にオレの要求通りにした方が身のためだぜ」と強盗に言われても、吉岡は「私は金のためだけに働いているのではない。人間を見くびるな。人間には誇りがある。銃を突き付ければ人は何でもすると思うな!」と毅然とした態度で立ち向かう。周囲の若者たちはハラハラして「そんなキレイゴトを言うなよ。撃たれたらオシマイじゃないか」と吉岡をたしなめるが、吉岡はひるまない。そして、吉岡は撃たれる。ただし、それは致命傷ではなく、ドラマは吉岡の態度に内心感動していた若者たちが勇を鼓して強盗を取り押さえて結末を迎える。吉岡はキレイゴトを貫いたのだ。

しかし、どうだろうか。ドラマでは幸い致命傷ではなかったが、現実には本当に撃ち殺されることだって十分あり得る。若者たちが言うように、キレイゴトを貫いても、殺されたらオシマイではないか。実際、今の教育では、誰かがいじめられていても、見て見ぬふりをするのが得策とされている。下手に関われば、今度は自分がいじめの対象になるだろう。触らぬ神に祟りなし。かくしてキレイゴトはドラマの中だけの話になる。現実にキレイゴトを貫く吉岡のような人間はいないし、そんなことをすれば馬鹿にされるだけだ。しかし、それにもかかわらず、私は吉岡のような人間になりたい。なれるかどうかはわからない。実際に銃を突き付けられれば、命が惜しくて、怖くて、ブルブル震えて強盗の言いなりになるしかないかもしれない。しかし、それでもキレイゴトを貫きたいという思いはある。純白の超克とはキレイゴトを放棄することではない。むしろ、キレイゴトを現実に貫くことにこそ、純白の美を超える美しさがある。