純白の超克
純白ほど美しいものはない。白無垢の花嫁。見渡す限りの雪景色。純白は色でさえないのかもしれない。白は色の一つであっても、純白は色の領域を超えている。厳密に言えば、白は目に見えるが、純白は目に見えない。それは様々な色が自らを表現する場とでも言おうか。色が存在者であるならば、純白はそれぞれの色を存在者足らしめる存在の根柢、すなわち絶対無に他ならない。従って、白無垢の花嫁や一面の雪景色を目にする時、我々が見ているのは白という色だけれども、そこにある美は未だ主もなく客もない純粋経験の地平から訪れる。純白ほど美しいものはない。
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さて、我々が人生の理想について考える時、純白が絶対的な意味をもつ。生きるとは言わば純白のキャンヴァスに様々な色彩で絵を描いていくことに等しいが、如何なる色彩も純白にはかなわない。所詮、次元が違うのだ。結果、殆どの人生は純白のキャンヴァスを汚すことでしかなく、人生の汚れっちまった悲しみはかつて自分も純真無垢な存在であったことを懐かしむことしかできない。また、純粋精神に殉じた詩人の生き方(死に方)に憧れることもあるだろう。そこには確かに人生の理想がある。純白の美しい理想だ。しかし、私はそうした純白の理想に反抗したい。徹底的に力の限り反抗したい。かつて或る哲学者は、純粋精神に殉じた詩人よりも娼婦に身を落としても生き続けることを決意したソオニャの方が美しいと言った。ドブネズミの美しさだ。純白の美に反抗する、この美しさこそがユートピアの核となる。