ダス・ゲマイネ
ここに自殺を考えている人がいるとして、どうしたらその死を思いとどまらせることができるだろうか。尤も、考えている人は滅多に死ぬことはないし、そもそも死を思いとどまらせることが正しいかどうかさえよくわからない。かつて椎名麟三は死のうと思うことと実際に死んでみせることとの間には無限の深淵があると語っていたが、それはキリーロフのドタバタ劇を見ても明らかだろう。おそらく、論理的自殺など殆どあり得ないのではないか。しかし、通俗的に言えば、人は実に頻繁に自殺する。他のイキモノでは到底考えられないことだ。どんな人間でも例外なく、どうせいつかは必ず死ぬ運命なのに、どうしてわざわざ死期を早める必要があるのか。想定される必要は唯一つ、苦痛の滅却、それしかない。失恋、失業、その他様々な失敗、もしくは病気や怪我によって、その状態で生き続けるのが堪らなく苦痛となり、人は「もう死んだ方がマシだ!」と思うに至る。私は死んだことがないので「死の苦痛」を知らないが、もし安楽死が法的に許されるなら、それを希望する人は結構いるのではないか。無差別殺人をする輩もその動機を訊かれて「自分では死にきれないので、死刑にしてもらおうと思って…」などと答えている始末だが、安楽死が可能であればそうした理不尽な犯罪もなくなるに違いない。しかし、自殺にせよ、安楽死にせよ、なんと通俗的な死だろう。マイナスの苦痛はプラスに転じれば幸福になるのか。それもまた実に通俗的な人生観ではないか。殺されても死なない何か。本当の問題はプラスから始まる。