祝祭共働態の二律背反(7) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

祝祭共働態の二律背反(7)

フィリップ・アリエスによれば、「純真無垢な子供」という理念は近代の産物であり、それ以前に「子供」は何ら特別な存在ではなかった。おそらく、アリエスは正しい。「子供が大人になる」ことは「オタマジャクシがカエルになる」ことに等しく、そうしたイキモノの成長過程は不可逆なものだ。カエルはオタマジャクシに戻れない。そもそも戻ろうなどとは夢にも思わない。イキモノとしてのヒトも全く同様で、肉体的成長のベクトルを逆転させることは不可能だ。しかし、人間は違う。人間は時に「子供」に戻りたいと思う。もう一度、「子供」のように純真無垢に生きたいと願う。「子供の誕生」が近代の産物なら、「人間の誕生」もまたそうだ。ヒトから人間へ――その移行を進化と言えるかどうかは不明だが、そこに近代化を見出すのは可能だろう。人間は近代化と共に理想を求め始める。

さて、もはや誤解はないと思うが、「子供に戻りたい」という願いは「若返りたい」ということではない。少なくとも、私がここで問題にしている「子供」の理想はアンチエイジングの夢とは質的に全く異なる。勿論、醜く老いていく肉体を美しい若い肉体に戻したいというのは人間の見果てぬ夢だろう。しかし、たとい今後の科学技術の発展によってその夢が実現したとしても、それは人間の理想とは関係がない。人間の理想は水平の次元における反・老化の夢を垂直に突き抜けていく。