カイロス(垂直的瞬間)としてのユートピア(4)
強くて立派な人間と弱くてダメな人間。前者ばかりではなく、後者にもカイロスは生じる。しかし、ベクトルは正反対だ。強い人間の主体的な決断に生じるカイロスとそれができない人間の弱さを認容する神の恩寵に生じる カイロス。「踏絵など断固拒絶する!」という実存的意志を貫ける強さと「踏んでもいいよ。人間だもの」と人間の弱さを受け容れてくれる神の優しさ。両者共にカイロスをもたらすものの、前者において自らの強さを誇る傲慢に流れればカイロスは台無しになる。後者においても自らの弱さに胡坐をかくようになれば同様にカイロスは消え去る。結局、人間の強さにせよ弱さにせよ、等しくユートピアへの扉の前に立つ可能性があるものの、それは常にディストピアへと転落する危険性にさらされている。強い人間はますます強くなればいいし、強くなりたくてもなれない弱い人間も絶望する必要はない。人生にカイロスは必ず到来する。それを生かすも殺すもその人次第だ。