補足その一:「無力の力」と無力感 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足その一:「無力の力」と無力感

「言葉と戦車」はかつて加藤周一が用いた対比だが、戦車を力の象徴だとすれば、言葉は無力の象徴だ。しかし言葉には言霊があり、単なる無力ではない。どんなに下劣な一言でも、いや下劣なるが故に、人を傷つける力がある。勿論、これは消極的な意味における力であり、積極的な意味における力も当然ある。例えば、「それでも地球は動く」というガリレオの言葉。たといその発言が歴史的事実ではなかったとしても、異端審問では結果的に無力であったガリレオの言葉には「それでも地球は動く」という言葉として今に伝わる力を胚胎していたと考えることができる。私はそこに言葉の「無力の力」を感じ取る。更に言えば、戦車の力をGewalt、言葉の「無力の力」をMachtと区別することができるかもしれない。ちなみに長く「権力への意志」と訳されてきたニーチェの言葉はWille zur Machtだ。どうもナチスとの関連で、その言葉はWille zur Gewaltと解されてきたような気がしてならない。鄙見によれば、ニーチェが問題にした力も究極的には「無力の力」に他ならない。しかし当面の課題は、言葉のMachtは戦車のGewaltに打ち勝つことができるか、ということだろう。果たして、どうか。