子供の精神(9) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

子供の精神(9)

現在、テレビの深夜枠に「直ちゃんは小学三年生」というドラマがあります。今売り出し中の若手(とは言え、すでに三十台か)のイケメン俳優(とは言えぬ人たちも少なくない)が、大人の姿のまま半ズボンにランドセルという小学三年生の出で立ちで登場する奇妙なドラマです。こんな馬鹿げたドラマをつくるのはテレビ東京しかありませんが、その意図は何か。大人の人気俳優たちがそのままの姿で子供の世界を演じるギャップが面白いのか。だとしても、そのギャップを本当に楽しんでいる人がどれだけいるのか。世の中には「赤ちゃんプレイ」なるものがあると仄聞しますが、退行を楽しむ性癖があることは事実でしょう。しかし、単にそれだけなのか。大人が子供を演じ、それを見て楽しむ。踊る阿呆に、見る阿呆。これは世界の、そして人間の白痴化の兆候ではないのか。

さて、私が子供であった頃にも、「チャコちゃん」や「ケーキ屋ケンちゃん」など、子供の世界を描いたドラマはありました。しかし、それはあくまでも「子供が演じる子供の世界を子供が観て楽しむドラマ」でした。つまり、それは子供番組だったのです。それに対して、「直ちゃんは小学三年生」は深夜に放送されることからしても、明らかに大人番組です。つまり、「大人が演じる子供の世界を大人が観て楽しむドラマ」なのです。この差異は何を意味するのか。例えば「チャコちゃん」の場合、私の薄っすらとした記憶によれば、毎週繰り広げられるチャコちゃんの活躍に一喜一憂していたような気がします。つまり、ブラウン管の中で無茶なことばかりするお転婆なチャコちゃんに、子供の私はブラウン管の外からハラハラドキドキしながら共感していたのであり、そこにはブラウン管を挟んだ子供同士のシンクロがありました。しかし「直ちゃんは小学三年生」にそのようなシンクロなどあり得ません。結局、これは失われた子供の世界を大人が懐かしむドラマなのです。ただし、注目すべきは、そうしたノスタルジアも今や大人が子供を演じるという不条理によってしか得られない、ということです。実際、子供が演じる子供の世界は余りにも眩しすぎて大人はもはや見るに堪えないでしょう。しかし、それにもかかわらず、多くの大人たちは子供の世界に対してノスタルジアを禁じ得ない。現代社会(の大人たちの精神)は事程左様に荒廃しているということでしょうか。かかる白痴化から抜け出すためには、もう一度、子供の精神を凝視する必要があるように思われてなりません。