子供の精神(3)
「子供の精神」は未だない理想であり、ドラマでさえそれを体現する人間を生み出せていません。せいぜい大人になっても子供の心を失っていない人間が理想とされる程度です。「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」とはアメリカの哲学者ロバート・フルガムの言葉ですが、子供の心を失わずに大人の世界で生きていくことは一つのドラマを生み出します。先に言及した遊川和彦には「同期のサクラ」という昨年(2019)放送された作品がありますが、これも「35歳の少女」と同様に子供の心を持った人間が巻き起こすドラマです。主人公のサクラは正に「幼稚園の砂場で学んだ人生の知恵」だけに即して生きているような人物で、大手ゼネコンに新卒入社しても、その生き方は全く変わりません。そのために社長や上司を平気で批判して結果的に社内で冷遇されることになります。そんなサクラを同期入社の友人たちは最初馬鹿にしていたものの、次第にその純粋な生き方に影響・感化されていくのですが、そのパターンは基本的に「35歳の少女」と同じです。しかし、実際にサクラのように生きること、すなわち幼稚園の砂場で学んだ「正しいこと」を貫いて生きることはかなりキツイことです。至難の業だと言ってもいいでしょう。例えば、会社で利益至上主義による不正が行われていたり、学校で誰かがいじめられているような状況で、「やめろ!」と叫ぶことができるのか。サクラは躊躇することなく叫びます。そして、不幸になります。果たして我々はそのドラマを現実に生きることができるのか。「できる!」と言える人が集えば、そこが「新しき村」になります。今ある毛呂山の村を「新しき村」にすることは殆ど絶望的ですが、「新しき村」はどこにだって実現します。「子供の精神」のリアリティさえ信じられるならば。