「不要不急の仕事」の必要性を巡る補足の断章(4) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

「不要不急の仕事」の必要性を巡る補足の断章(4)

金剛石のある生活とない生活、という対比は分かりにくいかもしれない。電気のある生活とない生活、自動車のある生活とない生活、パソコン(スマホ)のある生活とない生活、という対比ならどうだろう。電気も、自動車も、パソコンも知らない所謂「未開人」(archaic man)の生活の輝きは殆ど野生の生命の輝きに等しい。それが人間生活の輝きの原点だとすれば、その輝きは文明(科学技術)の発展とともに増大し、今や「現代人」(modern man)の生活のまばゆいばかりの輝きに至っている。確かに、現代人の生活は飛躍的に便利で快適なものになった。楽になった。もう未開人が味わっていたような生活の過酷な苦労はない。しかし、現代人の生活の輝きは本当に望ましいものなのか。人間にとって本当に理想的な輝きだと言えるのか。未開人の生活の輝きが太陽の光だとすれば、現代人のそれは言わば原子爆弾の光のようなもので、やがて我が身を焼き尽くす運命にあるのではないか。さりとて現代人はもはや未開人の生活には戻れない。現代人の生活からいくら虚飾な輝きを削ぎ落としても、未開人の野生の生命の輝きを取り戻すことはできない。そもそも未開人の野生も、それが人間の生である限り、もはや自然そのものではあり得ない。常にすでに自然から一歩踏み出している。人間にとって、生命から生活への移行は不可避だ。自然の光から人工の光へ。人工の光を生み出すことが、たとい「不要不急の仕事」だとしても、また原爆のような破滅的な光を生み出してしまう危険性を常に孕んでいても、我々はその歩みを止めることはできない。