声なき声(5)
私は今の世の中に対して「何かおかしい、何か間違っている」という思いを禁じ得ませんが、そういう私の方が世の中からズレていて、どこか狂っているのかもしれません。この時期、戦争に関する映画やドキュメンタリィを目にしない日はありませんが、特に神風特攻隊の若者たちの姿に接すると私は何か居ても立っても居られない気持に駆られます。単純に、羨ましい、と言ってもいいでしょう。そこには未だ「絶対的なもの」が息づいていたと思われるからです。勿論、「御国のために」とか「天皇陛下万歳!」と叫んで「絶対的なもの」に殉じる生き方(死に方)は、たといどんなに美しく描かれていても、その内実は悲惨で理不尽なやりきれなさにまみれていたに違いありません。そもそも「日本は神国である」とか「天皇は現人神である」ということを本当に心の底から信じていた人がどれだけいたのか。大方の大衆は「そんな馬鹿げたことがあるか!」と思いながらも、その当時の流れで否応なく「絶対的なもの」と信じ込まされ、それに殉じることを余儀なくされたのが実情だと思われます。しかし、たとい熱狂の嵐の中で正気を失っていたとしても、「絶対的なもの」に殉じることが可能であったことは厳然たる事実なのです。幸か不幸か、戦争に敗れて曲がりなりにも正気を取り戻して、日本も天皇ももはや神ではなくなり、我々は「絶対的なもの」が不在の世俗化社会に生きることになりました。これはやはり、幸いなことなのでしょうか。今や「見捨つるほどの祖国」はなくなり、経済的繁栄にうつつを抜かして日々享楽的に過ごす平和ボケの若者たちが街に溢れていますが、平和にボケていられる以上の幸福はないとも言えます。或る映画の中に、広島の被爆者の家族が朝鮮戦争で再び原爆が使用されるかもしれないというニュースに接して「正義の戦争よりも、不正義の平和の方が大切だということがどうして分からないのか!」と吐き捨てるように叫ぶ場面がありましたが、「大義を失っても平和を維持する方が大事」というのが健全な考えなのでしょう。繰り返しになりますが、私はこうした健全な考えに基づく現代社会に違和感を禁じ得ませんが、それを声に出そうとすると、どうしても「神国日本」や「絶対天皇制」の復活を求めているものと誤解される結果になります。それ故、私はどうしても口ごもりがちになるわけですが、少なくともその誤解だけは明確に解いておきたいと思います。私の「絶対的なもの」への究極的関心は、戦前・戦中の世界への回帰とは真向から対立するものなのです。