国境なき世界(7)
通常「国境なき世界」などという理想は空想の産物であり、ただ夢物語としてのみ存在し得るものと見做されます。実際、もしそんな理想が実現してしまったら、多くの人は例えば自分の家に見知らぬ人が勝手に侵入してくるような不安を覚えることでしょう。当然のことです。人間には一人きりになる時間と空間が必要であり、その単独者としての生活を核とした家、その延長上に形成される国家は不可欠だからです。つまり、壁は安心安全な人間生活になくてはならぬものだということです。勿論、かつて全体主義が席巻していた時代のように家や国家が個人の生活を抑圧する場合には、壁は破壊の対象になります。しかし、所詮それも限られた期間のことであり、一旦は破壊されても、早晩新たな壁が要請されるでしょう。こうした文脈において、我々の歴史は壁の構築・破壊・再構築という繰り返しだと言えるかもしれません。何故このような歴史になるかと言えば、壁というものには二面性があるからです。すなわち、防禦と抑圧。自分と自分の家族、同胞の生存を守るために不可欠の壁もやがてその内に暮す人々を抑圧するものと化していく運命にあります。そもそも壁とは本来外敵の侵入を防ぐためのものですが、外敵とは一体何か。台風や津波のように荒ぶる自然が敵として我々に襲いかかってくる場合には、それを防禦する壁が必要になりますが、穏やかな友人のように現れてくる自然には必要ありません。同様のことは外国人についても言えるでしょう。いや、それは外国人とか同国人という区別に限りません。例えば、見知らぬ困った人たち(難民)が外から助けを求めてやって来た時に壁は必要なのか。逆に、内から外へ自由に新しき世界を求めようとする人たちに壁は必要なのか。言うまでもなく、現実には必要ですが、壁を超克する次元も厳然としてあると思うのです。それこそがユートピアなのですが、その次元は空想や夢物語とは質的に全く異なります。何れにせよ、「国境なき世界」とは言わば壁のディコンストラクションが実現する次元ですが、その具体相について更なる思耕を続けます。