国境なき世界(6)
国益の最たるものが領土(国土)だとすれば、国境こそ国の生命線に他なりません。従って、もし日本の国境を他国に譲歩するようなことがあれば、それは日本の国益を損なう売国的行為だと見做されます。しかし「国境なき世界」という我々の理想は、あくまでも「世界全体の幸福」を求めるものであり、決して自国を他国に売り渡すようなものではありません。全く次元が違うのです。とは言え、「そんなキレイゴトを並べているうちに足元をすくわれて侵略されるのが現実であり、、結果的に国益が損なわれるのは必定」という批判はあるでしょう。確かに、国境の否定は国の否定ではないものの、国境をなくせば他国からの悪人を含む様々な人間の流入に歯止めがかからなくなり、それまで平穏に暮していた自国民の生活が脅かされる危険性が増大します。また悪人でなくても、例えば山手線の車内で言葉も生活習慣も異なる外国人たちが大声で騒いでいる光景に遭遇したりすると、「テメェら、よそ様の国に来てデケェ面するな!」などという乱暴な言葉を普段は温厚な私も内心つい叫んでしまいます。おそらく、これが自然な大衆の感覚というものでしょう。だからこそ、観光客以外の外国人の排斥が自分たちの国益を守るための必要条件にもなるのです。国境の壁はますます厚く、ますます高くなっていきます。
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私たちの望むものは
社会のための私ではなく
私たちの望むものは
私たちのための社会なのだ
かつてフォークの神様はそう歌いましたが、それに準えれば
私たちの望むものは
世界のための日本ではなく
私たちの望むものは
日本のための世界なのだ
ということになるでしょう。つまり、基本となるのはあくまでも自分たちの国としての日本であり、その国益こそが「私たちの望むもの」だということです。勿論、この構造は更に次のように解体されていくでしょう。
私たちの望むものは
日本のための私たちではなく
私たちの望むものは
私たちのための日本なのだ
かくして「私たちの望むもの」は「個人の幸福」に収斂していくわけで、それが実現されるパラダイスと国境は密接に結び付いていると考えられます。と言うのも、「個人の幸福」を至上のものと見做せば、それを安堵するための堅固な壁がどうしても必要不可欠になるからです。
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しかしながら、同じく「個人の幸福」から出発しながら、全く正反対の展開をもたらすベクトルがあります。その一例として、すでに何度も言及してきた内村鑑三の有名な次のような言葉が挙げられます。
I for Japan,
Japan for the world,
The world for Christ,
And all for God
異教徒の我々には三行目と四行目は余りピンときませんが、ここに見られる垂直線こそユートピアを指し示すベクトルであり、同時に「国境なき世界」へと繋がる道に他なりません。さて、これもまたキレイゴトにすぎないのでしょうか。