村の本質
先日の木曜会に、「新しき村」を卒論のテーマにしたいという女子大生が来られました。その際、村の長老のSさん(現在は村外会員)が言われたことが印象に残っています。Sさんは様々なアドヴァイスをされた後、「今は村に関する資料も揃っているが、新しき村は研究するものではない。実践するものだ。最終的には、村で生活 してみなければ、村の本質はわからないだろう」と言われたのです。私もそう思います。と言うより、そう思ったからこそ、今も村で生活しているわけです。
しかし、曲がりなりにも三年間村で生活してきた私に何がわかったのでしょう。もし「古きよき村」としてのアルカディアを維持することだけが村の本質であるなら、私の求めてきた実践は全く見当外れだったと言わざるを得ません。しかし、たといそうだったとしても、将来にわたってアルカディアとしての村を維持し続けることは不可能だと思います。勿論、時代の流れを超越して村が存続することには、それなりの意義があるでしょう。しかし、その意義は私の究極的な関心事ではありません。
何れにせよ、私はあくまでも「新しき村」の実現をこそ求めてきたのであって、「古きよき村」の再発見・保存には余り興味がありません。従って、私の実践も空回りを余儀なくされているわけですが、せめて「新しき村」の真の新しさ、そしてその必要性についてだけは、思耕を尽くしておきたいと思っています。