アルカディアの問題点 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

アルカディアの問題点

アルカディアはかつて実在しましたし、今も世界の各地に点在しています。それに対して、ユートピアは未だ存在していません。私にとっては「ユートピアの創造」こそ問題中の問題ですが、その前にアルカディアの問題点について考える必要があるでしょう。


現代人がアルカディアを「究極的な理想社会」と見做せない理由の一つは、その閉鎖性にあります。先日の木曜会でAさんが「人間にとって堪え難いのは貧しさそのものではなく、等しくないということだ」と発言されていましたが、確かにその通りでしょう。具体的に言えば、「終戦後の皆が等しく貧しかった時代には、貧しいことはそれほど苦痛ではなかったが、やがて社会が少しずつ豊かになり、隣の家はテレビを買ったが、自分の所は未だ買えない…というような事態になった時に、貧しさが苦痛になる」ということです。アルカディアについても同じことが言えるのではないでしょうか。すなわち、外部と隔絶された世界の片隅で皆が平等に暮らしている限りアルカディアは維持されますが、外部の物質的に豊かな社会との接触が始まると同時に、アルカディアはその崩壊の一歩を踏み出すのです。私は以前に、そうした事情をドストエフスキイの「おかしな男の夢」という作品に基いて述べたことがありますが、もはやアルカディアの理想は言わば「鎖国の天下泰平」にすぎないと思われます。


尤も、「鎖国の天下泰平で何が悪い!」という意見も当然あるでしょう。確かに、「鎖国であれ孤立主義であれ、平和が維持されるのなら、それでいい」というのも一つの立場ではあります。しかし、いくら鎖国の存続を願っても、黒船の到来は避け得ないのではないでしょうか。その意味において私は、現代においてアルカディアをそのまま維持することは不可能だ、と思うのです。