アルカディアの没落(2)
現代人における「アルカディアの没落」を論じるために、私はアルカディアの意味を通時的と共時的の二つに分けようと思います。それは次の通りです。
通時的アルカディア―各民族の歴史の古層にある理想の共生状態
共時的アルカディア―現代において、近代化から取り残された人々の営む共生状態
具体的に言えば、通時的アルカディアは始源の楽園であり、共時的アルカディアは未開人(この言葉は不適切かもしれませんが、「未だ開発されていない」という文字通りの意味だけで使いたいと思います。差別的な意味合いのないことをご諒承下さい)の社会です。勿論、両者における「アルカディアの構造」自体に差異はありません。すなわち、エリアーデの構造主義的な宗教学に基いて、通時的アルカディアに生きる人間を「古代人」(archaic man)と称するならば、共時的アルカディアに生きる未開人は現代の「古代人」だと言えるでしょう。その意味において、「アルカディアの構造」とは人間的生の「祖型」(archetype)に他なりません。
さて、様々な「楽園喪失の神話」が示しているように、古代人が「始源の楽園」を失うのは一つの運命です。それは人間実存から「祖型」を失う悲劇(原罪)ですが、同時に人間に智恵(文明)をもたらしました。非常に大雑把に言えば、そうした両面価値的(ambivalent)な運命が現代人を生んだと見做すことができます。
何れにせよ、通時的アルカディアの喪失とともに自らの「祖型」をも奪われた現代人はニヒリズムに陥っています。確かに、恰もそうした喪失と引き換えに発展させてきたかのような科学技術文明の御蔭で、現代人の生活は古代人のそれに比べて遥かに豊かになりました。しかし、それは果たして「本当の豊かさ」でしょうか。月並みな言い方をすれば、物質的に豊かになればなるほど、精神的にはむしろ貧しくなっていくと感じる人も少なくないでしょう。その時、共時的アルカディアが現代人にとって一つの救いになると思われます。では、共時的アルカディアは現代人のニヒリズムを真に克服できるでしょうか。