リーダーの否定にあらず! | 新・ユートピア数歩手前からの便り

リーダーの否定にあらず!

幸徳秋水に『基督抹殺論』という作品があります。これは当時出始めた実証主義的な新約聖書学に基いて所謂「偶像破壊」を試みたものですが、その根柢にフォイエルバッハの「神は人間の願望の投影である」という考えを見て取ることができるかもしれません。しかし、神もキリストも人間の空想の産物だと言ったところで、余り現実的な意味はないでしょう。むしろ、「人間は結局、何かを拝まずには生きていけない存在だ。神を否定すると、今度は偶像を拝み出す」というドストエフスキイの言葉の方にリアリティがあると思います。


では、人間は自分達を導く超越者の存在を否定できないのでしょうか。この問題に関して思い出されるのは、ブルトマンの「歴史上のイエス」と「信仰のキリスト」の区別です。言うまでもなく、その両者の間には質的な断絶があります。2000年ほど前にイエスという類稀なリーダーが存在したことは歴史的に間違いありません。それが宗教的なリーダーだったのか、それとも政治的なリーダーであったのかは議論の分れるところですが、とにかく多くの人を魅了するリーダーがいたことは否定できないでしょう。問題は、そのイエスが教団(もしくは聖典)の形成過程において「キリスト」という超越者と化したことにあります。それは我々の精神において不可避の運命であっても、「ユートピアの実現」に関しては克服すべき課題であると思っています。