大衆の止揚、再び | 新・ユートピア数歩手前からの便り

大衆の止揚、再び

様々なコメントを戴き、ありがとうございます。私が「この指とまれ」に基く連帯に抱いている不安は杞憂なのかもしれません。しかし先の総選挙の結果にも見られるように、多くの人が何となく強烈なリーダーの登場を待望しているような雰囲気には違和感を禁じ得ないのです。確かに強烈なリーダーの力によって幸福な社会が築かれることを大衆は望んでいるでしょう。しかし、たといそのリーダーが真に有能で人格的にも立派な人であっても、前衛が大衆を導いていくという図式は「人間として本当に生きること」とは程遠いものだと思います。それは強烈なリーダーの否定というよりも、あくまでも「大衆の止揚」の問題です。


尤も「堅いことを言うな。皆が幸福になれれば、それでいいじゃないか」と言われる方も少なくないでしょう。しかし私の思い描く「ユートピア」はそうした「幸福社会」ではないのです。それは大審問官による「幸福社会」にすぎません。私はおかしいのでしょうか。


何れにせよ、個々の究極的関心の表明が先決問題です。例えば、「新しき村」は実篤によって創立されたものですが、「実篤の新しき村」と見做されている限り、それは真の「新しき村」だとは言えないでしょう。私は以前に「殺仏殺祖」ということを言いましたが、「実篤のディコンストラクション」が不可欠だと思っています。勿論、それは「実篤の新しき村」を否定して「私の新しき村」に取って替えることではありません。そこが難しいところです。