「新しき人」とインテリ
私は「弁証法」とか「止揚」といった言葉を好んで用いますが、確かに常民はそうした語彙とは無縁の世界で生活しているでしょう。では、そうした観念的な言葉を多用して人間の究極的な理想を語り出そうとしている私は、常民を無視してインテリのみを対象としているのでしょうか。現状ではそのように思われても仕方ありませんが、それが私の本意でないことだけは御理解戴きたいと思います。
私の本意はあくまでも「人間として本当に生きようとする意志」をもつ人々との共働(連帯)にあります。おそらく常民はそのような意志を持つ必要がない(少なくとも自覚的ではない)と思われますが、それでも私は常民を無視するつもりはありません。と言うのも、私の「人間として」という条件は、例えば見田宗介氏の次のような人間観に基いているからです。
生命体としての第一層
人間としての第二層
文明人(ムラ人的存在)としての第三層
近代人としての第四層
現代人としての第五層
見田氏はこのような重層体として人間を捉えていますが、私も同様の人間観を持っています。そして私の求める「新しき人」は第六層としての人間なのです。従って、それは常民(第三層)のみならず、インテリ(第四もしくは五層)に限定されるものではありません。ただし言葉に関して、「パロール」(話し言葉)の世界に生きる常民と「エクリチュール」(書き言葉)の世界に生きる近・現代人という対比で言えば、私は後者により重点を置いて「新しき人」について語っていることは認めざるを得ません。そこに私の課題があると思っています。