主体的生活者の覚悟
周知のように郵政民営化法案が参議院で否決され、衆議院解散・総選挙の運びとなりました。直後の記者会見で小泉首相は「国会では否決されたが、選挙で民意を問いたい」と述べました。すなわち小泉首相の掲げる構造改革の是非を問うというわけです。しかし、その構造改革の本質とは何でしょうか。
大きな政府から小さな政府へ――それは中央政府の権限を地方へと分権していくことでもありますが、今問題になっているのは官の仕事をできるだけ民へと移行させていくということでしょう。その意味において民営化は真の民主化への第一歩だと言えるかもしれません。つまり大きな権力を持つ中央政府への依存からの自立――これが構造改革の本質だと(幾分の期待を込めて)私は思っています。
さて、こうした私の理解が正しければ、小泉首相の進めようとしている構造改革はユートピアへの第一歩だとさえ言えるでしょう。それは主体的生活者への第一歩でもあるからです。しかし、それは容易なことではありません。大きな政府への依存からの自立とは、言わば親からの子の自立に等しく、これまでは親の庇護のもとで安心して暮らせていたのが今後はすべて子の責任によって生活していかなければなりません。当然、失敗もあるでしょう。郵政民営化に関して言えば、これまで政府の庇護のもとで維持されていたサービスが今後受けられなくなることも考えられます。従って、自立などせず、今まで通り大きな政府に依存して生活していた方が良いという選択も当然あると思われます。しかしもはや財政的にそのような依存を維持することは不可能でしょうし、またそうした依存から汚職など様々な問題が生じていることを考えれば、大きな政府からの自立は不可避だと考えられます。
何れにせよ、主体的生活者は一つの覚悟を余儀なくされるでしょう。郵政民営化程度であれば未だいいですが、これが国防の問題になったらどうでしょうか。今はアメリカの庇護のもとで我々は国内の平和を享受していられますが、そのような依存状況から自立して「自分の国は自分達で守る」という主体性を回復しようとすれば、当然徴兵制の復活ということにもなるでしょう。正直言って、私は軍隊になど行きたくはありませんが、それが主体的生活者の義務になることは否定できません。果して我々はその義務の痛みを共有する覚悟があるでしょうか。
主体的生活者の覚悟について最後に言っておきたいことは、ユートピアとは決して「楽に生活できるところ」ではないということです。言い換えれば、全てを大きな政府にゆだねることで安楽な日常生活が保障されても、それはユートピアではないのです。少なくとも私が求めているユートピアは主体的生活者の共生=祝祭の場に他なりません。今はそれが結果的に「弱者の切捨て」にならぬ道を摸索しているところです。