難行道と易行道
私の実現したいユートピアは「新しき村」に他なりません。しかしユートピアが新しき社会を意味し、それは反復された「村」であるという逆説的ヴィジョンは、すでに実篤の構想を超えていると言えるでしょう。もとより新しき村の運動は実篤に拘束される必要はなく、様々な人の構想が合流するものだと思います。しかし、再三再四述べているように、村の現状はそうした合流を拒む傾向にあります。もはや村の閉塞状況に対する愚痴を繰り返すことはしませんが、一体どうしたら「ユートピアの実現」に関心を抱く人が結集するような村をつくることができるでしょうか。
結局、「新しき村」に関する基本的なヴィジョンを発信し続け、それに共鳴する人の輪を地道に広げていくしかないでしょう。言うまでもなく、私のヴィジョンは祝祭共働態ですが、その当面の課題は「次元の違い」だと思っています。言い換えれば、祝祭共働態のユートピアとしての必要性を説くためには、ユートピアを求める人々の「次元の違い」を克服しなければならないのです。私はこの問題を聖なるユートピアと俗なるユートピアの関係として思耕してきましたが、難行道(自力聖道門)と易行道(他力浄土門)の関係としても考えられるでしょう。