ユートピアにおけるリーダーシップ
昨日時間がなくて書き足りなかったことを少し補足します。
新しき村が曲がりなりにも今日まで存続してきた最大の理由は、基本的に強制ということがなかったことだと思います。尤も、養鶏が盛んだった頃には、その事業をブルドーザー式に拡大するというような有無を言わせぬ雰囲気があったようです。しかし、それが嫌なら村を去ればいいわけで(事実、多くの若者が離村したようです)、少なくとも「誰かに無理矢理従わせられる」ということはなかったと思います。そして、養鶏事業の衰退とともに何かを強力に推進するという雰囲気もなくなり、今の村は個々バラバラに自分のペースで労働しているという感じです。それは或る意味で気楽な状況だと言えますが、私には「新しき村の本質」を見失った閉塞状況としか思えません。
実際、村の現状を閉塞的だと見做すのは私だけではなく、少なからぬ人が危惧の念を抱いています。そして、そうした人達が決まって口にする村の問題点は「リーダーシップの欠如」です。すなわち経済を含む村の運営方針を明確に見定め、それを具体的に実行する人物の登場を待望しているのです。しかし乍ら、私はそこで考え込んでしまうのです。果して、「真のユートピア」に「リーダー」は必要でしょうか。
現実問題として、リーダーなき組織など考えられないでしょう。そこで普通に考えれば、「理想の組織」を求めることは「理想のリーダー」を求めることに等しくなります。しかし私はそうした構造をこそ超えなければならないと思うのです。すなわち、「真のユートピア」を求めることは「理想の組織」を求めることを超えているということです。更に挑発的に、「真のユートピア」は組織でさえない、と言ってもいいでしょう。おそらく、現実離れした議論にしか思えないかもしれませんが、「真のユートピアは反組織である」というテーゼには核心的な問題があると私は思っています。
何れにせよ、これは極めて大きな問題で、すぐに答えが出るようなものではありません。昨日の便りで批判した前衛主義とリーダーシップの関係など、今後少しずつ思耕を深めていきたいと思います。