デクノボオによる革命 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

デクノボオによる革命

私はきれいごとを言うつもりはありません。かつて「モーレツからビューティフルへ」という言葉が流行しましたが、「シュトルツからオブローモフへ」ということの真意は少し違います。

 

確かに私はデクノボオであるオブローモフの復権を考えています。それは所謂「スローライフ」の復権にも通じていますが、そのことは決して「非生産的な生き方」の肯定ではありません。例えば、「スローライフ」に関連して「頑張らない生き方」が新たな美徳のように言われていますが、私はそこに非常な違和感を覚えます。それは先日述べた「やすらぎの場としてのユートピア」に対する違和感にも通じるものです。

 

この点に関して私は未だ論理的にうまく説明できないので、誤解を招くかもしれません。ただ感覚だけで言えば、生産的な生き方こそが生を輝かせることができる、と思っています。尤も、「生産的」というより「創造的」と言った方がいいかもしれません。そこに微妙な差異があります。

 

シュトルツは間違いなく生産的な人間です。しかし、それは確立した社会の中でのみ発揮される生産性にすぎません。すなわちシュトルツの生産性は「真に新しきもの」を生み出すことのないものなのです。その意味において、シュトルツは生産的ではあるけれども、創造的ではないと言えるでしょう。更に言えば、今は何もしていない非生産的なオブローモフにこそ創造性の芽があると私は思っています。