主体性と共生
昨日の便りで述べた「主体的生活者」の概念の問題点は、その主体性を「誰にも依存しないこと」と解した点にあると思います。すなわち、「主体的に生活すること」は「誰にも依存しないこと」ではない、ということです。それは自立が孤立とは異なり、常に連帯と相即したものであるのと同じ論理に基いています。
従って、「主体的生活者」はあらゆる分野において専門家になる必要はありません。かつて或るエンジニアが「自分達は死ぬほどの苦労をして新しい商品を開発する。しかし、消費者はそれを何の苦労もなく簡単に使うことができなければならない」と言っていましたが、そこにあるのは「依存関係」ではなく「信頼関係」だと思います。ただし、この違いが詭弁に陥らないようにするためには、生産者と消費者の関係を真に循環的なものにする必要があるでしょう。すなわち、或る専門家の生産物を信頼して使用する消費者は、同時に他者に信頼される物を生産する専門家でなければならない、ということです。この場合の「専門家」とは所謂プロフェッショナルという意味であり、その技能の信頼に基く「生産―消費」の循環(相互交通)にこそ労働の本質があるのではないでしょうか。
尤も、現実には、「信頼関係」は容易に「依存関係」に堕してしまうでしょう。それ故、或る専門家を信頼するにしても、その分野に関する或る程度の知識は必要になってきます。また、専門家としても、その基本的知識を一般消費者に与える努力をしなければなりません。例えば医者の所謂「インフォームド・コンセント」のようなことが、様々な分野でも必要だということです。それが「自覚的生産者」の義務もしくは責任だと思います。
何れにせよ、そうした「自覚的生産者」と、それを信頼する「自覚的消費者」によって「共生社会」は成立すると私は考えます。そして、そのような社会の有機的な一員として生きる者こそ、「主体的生活者」なのです。主体性と共生は相即しています。