ユートピアのイロニー
歴史の完成を目指す「終末論的ユートピア」には大きな問題があります。危険性と言った方がいいかもしれません。それは、言わばジョギングを楽しんでいる人に全力疾走を強いるような危険性です。
ところで今村昌平監督の「黒い雨」(原作・井伏鱒二)という映画の中で、原爆の悲劇に苦しんでいる或る人が朝鮮戦争の勃発を知って、「人類は未だわからないのか。正義の戦争よりも不正義の平和の方が尊いということを!」と吐き棄てるように叫ぶシーンがあります。最近のイラク戦争も同様ですが、戦争は大抵「正義」の名の下に行われます。また名作「第三の男」の中でオーソン・ウェルズは「戦争によって科学技術などが大きく発展し、素晴らしいものがたくさん生み出された。平和が生み出したのは鳩時計だけだ」と言っています。
こうしたことから言えることは、皆が「正義」の歴史的貫徹を求めず、たとい「不正義」でも争いのない状態の方を選ぶのなら、戦争など起こりはしないということです。それに対して「そんな中途半端な平和に甘んじていては駄目だ。現実に不正義に苦しめられている人が一人でもいる以上、その状況を超克する歴史の完成を目指して戦わねばならない」と考えるならば、戦争は不可避でしょう。
ここに「ユートピアの実現」を求める私のディレンマがあります。世界の片隅に「やすらぎのユートピア」を実現するのなら、問題はありません。しかしあくまでも「終末論的ユートピア」の実現を求めるのなら、どうしても「中流の平和に甘んじている人」を問題にしなければなりません。皆さんはどうお考えでしょうか。
ところで今村昌平監督の「黒い雨」(原作・井伏鱒二)という映画の中で、原爆の悲劇に苦しんでいる或る人が朝鮮戦争の勃発を知って、「人類は未だわからないのか。正義の戦争よりも不正義の平和の方が尊いということを!」と吐き棄てるように叫ぶシーンがあります。最近のイラク戦争も同様ですが、戦争は大抵「正義」の名の下に行われます。また名作「第三の男」の中でオーソン・ウェルズは「戦争によって科学技術などが大きく発展し、素晴らしいものがたくさん生み出された。平和が生み出したのは鳩時計だけだ」と言っています。
こうしたことから言えることは、皆が「正義」の歴史的貫徹を求めず、たとい「不正義」でも争いのない状態の方を選ぶのなら、戦争など起こりはしないということです。それに対して「そんな中途半端な平和に甘んじていては駄目だ。現実に不正義に苦しめられている人が一人でもいる以上、その状況を超克する歴史の完成を目指して戦わねばならない」と考えるならば、戦争は不可避でしょう。
ここに「ユートピアの実現」を求める私のディレンマがあります。世界の片隅に「やすらぎのユートピア」を実現するのなら、問題はありません。しかしあくまでも「終末論的ユートピア」の実現を求めるのなら、どうしても「中流の平和に甘んじている人」を問題にしなければなりません。皆さんはどうお考えでしょうか。