ユートピアと終末論 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

ユートピアと終末論

「あまりに待ちすぎたものからは、とどのつまり逃げ出すしかないのだ」――これは三島由紀夫の「仮面の告白」ですが、ユートピアの実現についても同様のことが言えると思います。そこには時と永遠の問題があります。

かつて幼い私は「一週間のうちで何曜日が最も楽しいか」という問題について思耕したことがあります。休日である日曜日が楽しいことは言うまでもありません。しかし、その翌日が月曜日であることを考えると憂鬱になります。とすれば、翌日が休日である土曜日の方が楽しいのではないか――そんな具合に下らぬことを考えていたのです。

また一年間で言えば、全てが終末に向かって慌しくなってくる年末、殊に大晦日の雰囲気が好きでした。「紅白歌合戦」、「ゆく年くる年」、そして恰も全ての人間が息をこらして新年が明けるのを待っているかのような緊張感。しかし、いざ明けてみれば、世界は以前と変わることなくアッケラカンとしたもので、非常な空虚感に襲われるのが常でした。そこには太宰治の「トカトントン」のニヒリズムに通じるものがあったように思い出します。

こうした私の体験を通じて言いたいことは、「ユートピアの実現」と「ユートピアにおける生活」の間には質的な差異があるということです。おそらく多くの人が求めるユートピアは「やすらぎの場」だと思われますが、そこには極めて大きな問題があります。それは倦怠です。私にとって既存のユートピア像の殆どは「そこで生活することが退屈で仕方のないもの」に他なりません。