ユートピアとエンターテインメント | 新・ユートピア数歩手前からの便り

ユートピアとエンターテインメント

「売れるユートピア」とは何か。それは、以前の便りで述べた「ディズニーランドよりも楽しい村づくり」という発想に基くものです。尤も、その際にも指摘しましたが、「娯楽の場」であるディズニーランドと「生活の場」である新しき村は次元を異にするものであり、その両者の楽しさを単に比較することには意味がないでしょう。ただ私としては、ディズニーランドにおける非日常的な「娯楽の楽しさ」を超える日常的な「生活の楽しさ」を実現したいと思っています。それは単なる比較の問題ではなく、言わば娯楽の楽しさを生活そのものに奪還する試みだと言えるでしょう。


一般的に考えれば、「娯楽の楽しさ」は息抜きにすぎません。ディズニーランドで遊ぶことが如何に楽しくても、それを人生の目的だと思っている人はいないでしょう。しかし、ディズニーランドはともかくとして、遊ぶことを人生の目的だとする人はいると思います。少なくともHomo ludensとしての人間にとって、遊びは決して否定的なものではありません。ただ、ユートピアとの関連で私が問題にしたいことは、あくまでも「娯楽として遊ぶこと」なのです。


問題を非常に単純化して言えば、「娯楽として遊ぶこと」では遊びの本質を極めることができないでしょう。言い換えれば、「生活-娯楽」という二項対立の構図に基く限り、遊びはついに擬似体験(言わば、遊び=ごっこ)にしかすぎず、真にリアルなものにはならないのです。尤も、「遊びとは元来ごっこではないのか」と言われるかもしれませんが、私はそのように考えておりません。遊びは祝祭と密接に関係していますが、その本質については改めて思耕することにして、ここでは単に「遊ぶために労働する生活ではなく、労働そのものが遊びになる生活、更に言えば生活それ自体が遊びになることにこそ、娯楽の楽しさを超えるユートピアの楽しさがある」とだけ述べておきます。


何れにせよ、「売れるユートピア」とは、そこで日常的に生活することが楽しくてたまらないような場に他なりません。なかなかその楽しさをうまく表現することができないので、色々と誤解が生じるでしょう。しかし、ユートピアにおいては「娯楽として遊ぶこと」が不必要になることだけは確かだと思っています。