スパイラルとしてのユートピア | 新・ユートピア数歩手前からの便り

スパイラルとしてのユートピア

垂直に伸びていくスパイラル(螺旋)の場合、上から見れば円環を成していますが、側面から見れば直線的に運動しています。ここに私は円環と直線の統合を見るわけですが、人間には「上からの視点」など事実上あり得ません。従って、スパイラルは人間的現実においては直線運動としてのみ実感されると言えるでしょう。

勿論、単なる直線運動とスパイラルの直線運動との間には質的な差異があります。ユートピアの理念に関して言えば、前者が排他的かつ不寛容な運動(選民意識)になりがちなのに対して、後者はそれぞれの段階において形成される「やすらぎの場」を一概に否定することはありません。「一概に」という条件がつくのは、「やすらぎの場」の存在を認め乍らも、そこに安住することはしないからです。スパイラルは円環運動でもありますが、本質的には直線運動なのです。

なかなか上手く説明できませんが、私は「ユートピアの理念」には円環的要素(宇宙論)と直線的要素(歴史)の両者が不可欠だと思っています。円環的要素を欠いたユートピアの危険性については昨日少し言及しましたが、直線的要素を欠いたユートピアも危険なものです。それは極めて閉鎖的なユートピアになるでしょう。たといそれが「やすらぎの場」であったとしても、世界の片隅で或る特定の人達しか生活することを許されぬものなど果してユートピアの名に値するでしょうか。少なくとも私は世界の片隅に実現するユートピアではなく、世界そのものをユートピアにしたいと思っています。それがスパイラルとして求められるユートピアに他なりません。